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海外勤務者の健康管理

近年のグローバル化社会を反映して、多くの国内企業が海外に社員を派遣する時代を迎えています。海外では国内と異なる健康問題が数多く存在するため、企業では海外勤務者に特化した健康管理対策を構築することが急務とされています。
このページでは海外勤務者の健康問題と健康管理の方法について解説します。

海外勤務者の最近の動向

海外駐在員とその家族の数は,外務省が報告する海外長期滞在者数にほぼ等しく,その数は1990年の37万人から,2012年は83万人まで2倍以上に増加しました(図1)。

図1

また法務省の出入国管理統計によれば、2012年は日本人の海外出国者数が1800万人を超えており,このうちの2割前後が海外勤務に関係した出国(海外出張や駐在)と推測されています(図2)。

図2

こうした海外勤務者の数の増加だけでなく、滞在先にも変化がみられています。1990年代初頭までは欧米諸国に滞在する日本人が多くみられましたが、近年は中国やインドなど途上国への滞在者が急増しており、地域別の長期滞在者数をみると2011年はアジアが約30万人と最多を記録しました。また、近年は中小企業からの海外勤務者が急増していることも特徴です。中小企業基盤整備機構の調査によれば、中小企業で海外展開を行っている企業は1999年に9.2%でしたが、2010年の調査では65.0%に増加しています。さらに、海外勤務者の年齢も近年は高齢化が進んでおり、生活習慣病等の慢性疾患を抱えている者が派遣対象になるケースもしばしばあります。
このような状況から、国内の企業は海外勤務者の健康管理対策の強化が求められているところです。

海外勤務者の健康問題

海外滞在中は特有の健康問題があるため、国内で生活している時に比べて健康上の訴えが多くなります。

  1. 気候の変化に伴う疾病
    途上国に滞在する者にとっては,気候の変化に伴う病気が多くなります。たとえば熱帯や亜熱帯地域では,高温多湿の気候により疲労や脱水を起こすことが多く、「あせも」や「水虫」などの皮膚疾患もしばしばみられます。乾燥した気候では,上気道炎やアレルギー性鼻炎等の呼吸器疾患が頻発します。さらに近年は、途上国都市部で大気汚染が深刻化しており、これも呼吸器疾患が増加する一因になっています。
  2. 感染症
    途上国では衛生環境が悪く、感染症が大きな健康問題になります。この中でも飲食物から経口感染する旅行者下痢症やA型肝炎の頻度が高く,旅行者下痢症については途上国に1ヶ月滞在した場合、半分近くの人が罹患するとされています。
    蚊に伝播されるデング熱やマラリアも,地域によっては注意を要します。デング熱は近年、東南アジアや中南米で大流行が発生しており、日本人の感染例も数多く報告されています。マラリアの流行は、アジアや中南米では特定の地域に限定されており、日本人の活動範囲での感染リスクは低くなっていますが、熱帯アフリカでは都市部を含む国内全域に流行がみられます。
    性行為で感染する梅毒、尿道炎、B型肝炎などの疾患は、現地での行動パターンによりリスクが高くなります。さらに途上国の一部の医療機関では、注射器具の再利用が行われており、院内感染としてB型肝炎やHIV感染症に罹患するケースもあります。
  3. 生活習慣病
    生活習慣病の罹患は,先進国,途上国にかかわらず頻度の高いものです。これは,海外での食事が一般に高カロリー,高脂肪であることや,海外での生活が車社会であるため,運動不足に陥ってしまうことに由来します。さらに近年は海外勤務者が高齢化しているため,すでに生活習慣病を発症している者も数多くみられます。こうした事例では海外での生活習慣が病状の悪化を招くだけでなく、治療中のケースでは,その中断によりコントロールが不良となることも少なくありません。
  4. メンタルヘルスの障害
    海外での生活では、異文化との接触や言語の相違などからストレスが蓄積し、メンタル面の障害をきたしやすくなります。さらに周囲に親しい人間が少なくなるため、メンタル面でのサポート機能が低下し、それがメンタル障害を加速させます。

海外駐在員の健康管理対策

(出国前の対策)

  1. 派遣者の選定
    派遣者の選定にあたっては、定期健康診断の結果などを参考に、心身ともに健康な者を選ぶのが基本です。しかし、近年は派遣者が高齢化しているため、慢性疾患をかかえる者が候補になるケースも少なくありません。こうした事例の派遣可否の判断にあたっては、病状だけでなく、現地の医療機関による継続医療の可否が重要な要素になります。慢性疾患をかかえていても病状が安定している場合は、国内の医療機関で帰国毎に経過観察を受けることを条件に、派遣可とするケースがあります。
  2. 健康診断
    派遣前の健康診断は労働安全衛生規則45条2に定める項目に準拠して行います。本法では、業務形態(駐在、出向、出張)にかかわらず、海外に6ヶ月以上滞在する者への健康診断の実施を事業主に義務付けています。健康診断の結果は英訳し、現地医療機関を受診する際に持参するよう指導します。中高年の派遣者の場合には人間ドック的な検査項目も追加し、生活習慣病や悪性腫瘍の早期発見に努めることが大切です。さらに、海外では歯科への受診が困難なケースが多いため、出国前の歯科健診の実施が推奨されています。
    帯同する家族については、事業主が健康診断を実施する義務はありませんが、配偶者に関しては、派遣者本人と同様の健康診断を実施することが望ましいとされています。また、子どもについても、出国前の健康状態を記録する意味で、簡易的な健康診断を推奨しています。
  3. 健康指導

    派遣前には講義形式などによる健康指導を行い、滞在する地域の健康問題やその対処方法、医療機関の情報などを提供すると効果的です。こうした指導に必要な医療情報は、インターネット上の各種サイト(表1)から入手することができます。
    自社内で健康指導の実施が困難な場合は、日本在外企業協会などの外部機関が実施しているガイダンスを利用する方法もあります。こうした一般的な健康指導に加えて、派遣者の健康状態に応じた個別指導も必要です。この面談の機会を利用して派遣者と顔見知りになっておけば、滞在中のメンタル面の相談にも応じることができます。
    健康指導では携帯医薬品についても言及する必要があります。海外の薬局で市販されている薬剤は、含有量が多かったり、偽薬が流通していることもあり、感冒や下痢など頻度の高い疾病に関しては、日本から使い慣れた薬剤を携帯することを推奨しています(表2)。

表1.インターネット上の海外医療情報サイト

サイト名 URL 特徴
厚生労働省検疫所 http://www.forth.go.jp 海外感染症流行情報、推奨予防接種情報
国内のトラベルクリニック情報
外務省海外安全
ホームページ
http://www.anzen.mofa.go.jp 海外感染症流行情報
国立感染症研究所
感染症情報センター
http://www.nih.go.jp/niid/ja/from-idsc.html 海外で流行している感染症の解説
外務省渡航関連情報 http://www.mofa.go.jp/mofaj/toko/index.html 国別の疾病情報、推奨予防接種情報
海外医療機関情報
海外邦人医療基金 http://www.jomf.or.jp 海外医療機関情報
東京医科大学病院
渡航者医療センター
http://hospinfo.tokyo-med.ac.jp/shinryo/tokou/ 海外感染症流行情報
海外医療機関情報
日本小児科医会国際部 http://jpaic.net 国別の小児予防接種情報
日本渡航医学会 http://tramedjsth.jp 国内のトラベルクリニック情報
海外勤務と健康 http://www.bis-heal.org/ 海外勤務者の健康管理に関する教育ツール
海外旅行と病気 http://www.tra-dis.org/ 海外旅行中の病気の解説
eラーニングによる感染症教育ツール

表2.携帯医薬品

内服薬 外用薬
薬品名 効能 薬品名 効能
総合感冒薬
解熱鎮痛剤
抗ヒスタミン剤
せき止め薬
健胃剤
制酸剤
整腸剤
下剤
軽いカゼ
発熱、頭痛・歯痛
鼻水、乗り物酔い

胃のもたれ
胃の痛み
下痢
便秘
皮膚の軟膏
痔の座剤
うがい薬
点眼薬
消毒薬
湿布薬
皮膚炎
皮膚の化膿
痔(座剤)
カゼ
結膜炎
ケガ
打撲
衛生用品など
体温計、アイスノン、ばんそうこう、ガーゼ、脱脂綿、包帯、綿棒、バンドエイド、生理用品、コンドーム、ピンセット、毛抜き、爪切り、はさみ、耳かき、浣腸、スポーツドリンク(粉末)、昆虫忌避剤、殺虫剤
  1. 継続医療の指導
    慢性疾患のある派遣者については滞在先で継続医療を受けるための準備が必要です。受診する医療機関の検索には、最初から専門医を探すのではなく、現地のホームドクターをまず受診し、そこから紹介してもらう方法をお奨めします。現地の医療機関の情報は、表1の「外務省渡航関連情報HP」や「海外邦人医療基金HP」に詳しく記載されています。紹介状は英語のものを準備すれば概ね対応可能です。この紹介状には病名とともに服薬中の薬剤を一般名で記載します。
  2. 医療保険の加入
    海外で安心して医療を受けるためには、医療保険への加入が欠かせないものです。先進国では現地の公営ないしは民営保険、途上国では海外旅行保険で支払うのが一般的な方法です。また、日本の健康保険(組合管掌保険や国民保険)には「海外療養費制度」があり、この制度を使うと海外で支払った医療費の一部を還付してくれます。
  3. 予防接種
    一部の感染症の予防にはワクチンの接種が有効です。接種するワクチンは滞在地域や滞在期間、滞在先でのライフスタイルなどに応じて選択します(表3)。海外派遣前の予防接種は、短期間のうちに終了させるために、接種スケジュールの工夫を要することがあります。数回の接種が必要なワクチンは少なくとも2回目まで接種したり、複数のワクチンを同時に接種する方法もとられます。
    マラリアには有効なワクチンがないため、感染リスクの高い地域に滞在する際には、予防薬の定期的な内服(予防内服)を行います。日本ではマラロンやメフロキンが予防薬として認可されていますが、副反応の発生も少なくないことから、滞在地域や滞在期間などを考慮し、感染リスクが高い場合に予防内服を実施します。

表3.海外渡航者に推奨する予防接種
(○:推奨、△:状況により推奨)

ワクチン名 滞在期間 対象となる滞在地域 とくに推奨するケース
短期 長期
A型肝炎 途上国全域 衛生状態の悪い環境に滞在する者
黄熱 熱帯アフリカ
南米
入国時に接種証明の提出を求める国に滞在する者
破傷風 全世界 外傷を受けやすい者
狂犬病 途上国全域 動物咬傷後の接種が受けにくい地域に滞在する者
腸チフス
(国内未承認)
途上国 南アジアに滞在する者
B型肝炎 途上国全域 医療関係の仕事で滞在する者
日本脳炎 中国
東南・南アジア
農村部に滞在する者
ポリオ 南アジア
アフリカ
1975~1977年生まれの者
(この世代は小児期のワクチン効果が弱いため)
髄膜炎菌
(国内未承認)
西アフリカ
サウジアラビア
西アフリカの乾季に滞在する者
(乾季に大流行するため)
コレラ
(国内未承認)
途上国全域 胃切除者や制酸剤服用者
(胃酸分泌が障害されていると重症化しやすいため)
ダニ脳炎
(国内未承認)
ロシア、東欧、中欧 野外活動する機会の多い者
(マダニに吸血されやすいため)

(海外滞在中の対策)

海外に滞在中はホームドクターを持つことが推奨されています。これはプライマリーヘルスケアーを提供してくれる医師のことで、General PractitionerやFamily Doctorと呼ばれています。先進国に滞在する場合は、現地に到着してから、住居近くのホームドクターを探すことで対応できますが、途上国では医師の技術に格差があるため、事前に滞在先の医療機関情報を提供しておくことを推奨します。こうした情報も表1に示す各種サイトから検索することができます。
海外滞在中に健康問題が発生した際の対処方法として、電話や電子メールによる国内への相談体制を構築しておくと効果的です。とくにメンタル面での対応にあたっては国内への相談が推奨されます。社内の産業医や産業看護職が相談に応ずるのが理想的ですが、外部機関に委託する方法もあります。
海外駐在員については労働安全衛生法で定める定期健康診断を事業主が実施する義務はありません。しかし、海外駐在員への安全配慮義務という観点からは、少なくとも年に1回は定期健康診断と同等の検査を受けさせるべきです。日本式の健康診断を提供する医療機関も最近は海外で増えています。

(帰国後の対策)

海外から帰国後には労働安全衛生規則45条2に準拠した健康診断を実施します。また、途上国に滞在した者が帰国後に発熱や下痢などをおこした際には、海外の感染症を念頭においた診療が必要になります。こうした診療は感染症科のある病院などで提供してくれます。

海外出張者の健康管理対策

近年は海外出張を繰り返すことで海外事業を展開する企業が増えています。海外出張者は滞在期間が短いものの、急速な環境の変化により時差ボケや感冒など様々な健康問題を生じる可能性があります。また、出張を繰り返すケースでは、食生活が不規則になったり、酒量が増えることにより、生活習慣病の罹患や悪化をおこす事例も少なくありません。出張前の準備や帰国後の事後処理などで過重労働になり、メンタル面の障害をきたすこともあります。企業側でもこうした状況を認識し、海外出張の頻繁な社員については、産業医が定期的な健康指導を行ったり、医療相談に応ずるなどの対応をとることが必要です。
なお、海外出張者が滞在先で医療機関を受診する際には、海外旅行保険のアシスタンスサービスを利用する方法が推奨されています。このサービスは保険会社が提携する病院の紹介を受けるもので、提携病院の中には、保険加入者にキャッシュレスサービスを提供する施設もあります。ただし、この方法を利用するためには、海外旅行保険への加入が前提です。

相談員 濱田篤郎