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海外勤務者の健康管理

近年のグローバル化社会を反映して、多くの国内企業が海外に社員を派遣する時代を迎えています。海外では国内と異なる健康問題が数多く存在するため、企業では海外勤務者に特化した健康管理対策を構築することが急務とされています。
このページでは海外勤務者の健康問題と健康管理の方法について解説します。

健康問題別の対応

海外勤務者の感染症対策

1.はじめに
発展途上国では気候や衛生面の問題で感染症が日常的に流行しており、日本人が滞在中に罹患する例も少なくない。このような状況から、海外勤務者の健康管理にあたっては、感染症対策が欠かせない課題となっている。
2.海外滞在中の感染症罹患状況
感染症は途上国に滞在する場合に大きな健康問題となる。Steffenらがスイス人旅行者を対象に行なった調査によれば、経口感染症は最も頻度が高く、下痢症は1ヶ月間の途上国滞在で20~60%、A型肝炎は0.04%の渡航者に発症するという結果だった1)。蚊に媒介されるマラリアやデング熱も頻度が高く、マラリアは西アフリカに滞在すると1ヶ月間で2~3%の罹患率だった。
3.海外勤務者にリスクのある感染症

海外滞在中にリスクのある感染症を表1に示す。

  1. 経口感染症
    飲食物から経口感染する旅行者下痢症やA型肝炎は、途上国のいずれの地域でも高いリスクになる。旅行者下痢症の病原体については数々の調査が行われており、病原性大腸菌、サルモネラ菌、カンピロバクターなどの多いことが明らかになっている3)。また慢性の下痢症のケースでは、原虫や寄生虫が原因になることが多い。
  2. 呼吸器感染症
    呼吸器感染症は海外の医療機関を受診する日本人の病名として、常に上位にランクされている。我々が東南アジアの医療機関で行った調査でも、日本人患者の受診病名としては呼吸器疾患が全体の10020%を占めていた。呼吸器疾患の約60%は上気道感染症で、季節的には乾期に患者数が増える傾向だった2)。なお、呼吸器感染症の中でもインフルエンザは、熱帯地域においては雨期に多くなることが知られている。
  3. 蚊に媒介される感染症
    蚊に媒介される感染症は、滞在する地域によりリスクが異なる。デング熱は東南アジアや中南米で雨期に流行が発生しており、日本人の感染例も数多く報告されている。
    マラリアの流行は、アジアや中南米では特定の地域に限定されており、日本人が通常行動する範囲での感染リスクは比較的低いものである。その一方で、サハラ以南のアフリカでは都市部でも感染リスクがある。さらにアフリカでは悪性の熱帯熱マラリアが流行しており要注意である。
  4. 性行為感染症
    性行為で感染する梅毒、尿道炎、B型肝炎などの疾患は、現地での行動パターンによりリスクが高くなる。とくに単身赴任者は現地で買春行為に至る機会が少なくないため、充分な注意を喚起する必要がある。さらに途上国の一部の医療機関では、注射器など医療器材の再利用が行われており、院内感染としてB型肝炎やHIV感染症に罹患するリスクもある。
  5. 狂犬病
    動物から感染する狂犬病も海外で注意すべき感染症である。2006年にはフイリピンでイヌの咬傷を受けた2名の日本人が、帰国後に狂犬病を発病している。海外の流行地域ではイヌなどの動物に接触しない注意をするとともに、動物に咬まれた場合は、狂犬病の発病を予防するためのワクチン接種が必要である。
4.海外勤務者への感染症対策

(1)出国前の対策

  1. 感染症情報の提供
    海外で感染症を予防するためには、現地の流行状況などの情報提供が欠かせないものである。こうした情報はWHOの文献等から入手できるが、インターネット上の各種サイトからも入手が可能になっている(海外駐在員の健康管理対策:表1参照)。
  2. 健康教育
    感染症予防のための健康教育は、滞在する地域の流行状況に応じて実施する。
    経口感染症の予防は途上国に滞在する全ての者に必須である。たとえば、飲料水はミネラルウオーターや煮沸した水を飲用すること、食品はなるたけ加熱して摂取することなどが重要なポイントである。また食事をする場所に関しても、できるだけ衛生状態の良い店を選ぶよう指導する。
    マラリアやデング熱の流行地域に滞在する者には、蚊の吸血を防ぐための指導を行う。マラリアを媒介するハマダラ蚊は夜間吸血性であり、夜間の外出を控え、屋内への蚊の侵入を防ぐことが大切である。夜間外出するのであれば、長袖、長ズボンを着用し皮膚の露出を控え、昆虫忌避剤を塗布する。一方、デング熱を媒介するネッタイシマ蚊は昼間吸血性であるため、雨期などの流行時期を中心に昼間の防蚊対策を指導する。
    なお、昆虫忌避剤で主要な成分はDEET(N,N-diethyl-meta-toluamide)であるが、この濃度の高い製剤を用いると持続時間が長くなる。たとえば10%の製剤なら約1~2時間で、これが20%なら4時間近くになる。日本では10%前後の製剤しか販売されてないが、海外では最大50%の製剤まで入手できる。
  3. 予防接種
    一部の感染症の予防にはワクチン接種が効果的である4)。接種するワクチンの種類は、滞在地域、滞在期間、年齢、現地でのライフスタイルなどをもとに選択するが、詳細は第1章:表3を参照いただきたい。
  4. 予防内服
    マラリアの感染リスクが高い地域(サハラ以南のアフリカなど)に滞在する者には、薬剤の予防内服が推奨されている(表2)。日本ではマラロンとメフロキンが予防薬として販売されているが、副作用の出現も少なくないことから、マラリア感染のリスクが高い場合に限り、予防内服を実施すべきである。
  5. 携帯医薬品
    旅行者下痢症や上気道炎など頻度の高い感染症については、薬剤を持参させ、症状がでたら服用するように指導しておく。抗菌剤は処方薬であるため、事前に処方する際には法律的な面を含めて十分な注意が必要である。少なくとも予防的に処方する際には保険診療を行うべきではない。なお、欧米諸国では下痢止めとしてロペラミドを推奨しているが、日本では乳酸菌製剤やベルベリンなど比較的マイルドな薬剤を使用すべきとの意見が多い。

(2)帰国後の対策

途上国から帰国後に下痢や発熱などの症状を呈した患者には、海外特有の感染症を念頭におき、診療にあたることが必要である(表3)。検査は一般的な血算、肝機能検査、炎症反応とともに、症状に応じた病原検査を実施する。
マラリアは迅速に治療しないと死に至るケースもあるため、可能性のある場合は早急に専門医療機関に相談することをお奨めする。また、海外で犬などの動物に噛まれたケースでは、狂犬病を予防するためのワクチン接種を迅速に行う必要がある。
参考文献
  1. Steffen R. et al. Health problems after travel to developing countries. Journal of Infectious Disease 156: 84-91.1987.
  2. 打越暁、濱田篤郎 他.発展途上国に滞在する日本人成人の受療疾患に関する検討.日本職業災害医学会会誌 51: 432-436 2003
  3. 濱田篤郎:海外旅行者の下痢への対応. 日本医師会雑誌. 139: 1057-1060. 2010
  4. 濱田篤郎:渡航者用ワクチン. Bio Clinica. 28:348-353. 2013

表1.海外勤務者にリスクのある感染症

感染経路 感染症 主な流行地域
経口感染 旅行者下痢症、A型肝炎、腸チフス 途上国全域
飛沫感染 カゼ、インフルエンザ 先進国、途上国全域
蚊が媒介 デング熱 アジア、南太平洋、中南米
マラリア 熱帯・亜熱帯地域(とくに熱帯アフリカ)
黄熱 熱帯アフリカ、南米
日本脳炎 中国、東南アジア、南アジア
性行為で感染 梅毒、尿道炎 アジア、南太平洋、中南米
B型肝炎 アジア、アフリカ
HIV感染症 途上国全域(とくに熱帯アフリカ)
動物から感染 狂犬病 途上国全域
皮膚から感染 破傷風 先進国、途上国全域
住血吸虫症 アジア、アフリカ、南米
レプトスピラ症 途上国全域

表2.日本で入手できるマラリア予防薬

薬剤名
(商品名)
服用方法* 頻度の高い副作用 注意
アトバコン/プログアニル
(マラロン)
1錠(アトバコン250mg/プログアニル100 mg)を、流行地到着1~2日前より滞在中および流行地出発後7 日目まで、毎日1回経口投与 消化器症状
頭痛
(比較的副作用は少ない)
禁忌:高度腎機能障害
妊婦:安全性が確立されていない
小児:安全性が確立されていない(一般に体重40kg以上から投与する)
メフロキン
(メファキン)
1錠(275mg)を、流行地到着1週間前より滞在中および流行地出発後4週まで、毎週1回経口投与 消化器症状
精神神経症状
(めまい、頭痛、不眠など)
禁忌:癲癇、精神病の既往
妊婦:投与しない
小児:安全性が確立されていない(一般に体重30kg以上から投与する)
*成人量を示す。

表3.途上国から帰国後に疑う感染症

症状 一般的な潜伏期間 疑う感染症 主な検査
発熱 1週間以内 デング熱
インフルエンザ
血清抗体検査*
鼻腔・咽頭抗原検査
1週間以上 マラリア
腸チフス
ウイルス性肝炎
血液塗沫検査
血液培養
血清抗体検査
下痢 1週間以内 細菌性腸炎
ウイルス性腸炎
便細菌培養
便中抗原検査
1週間以上 原虫性、寄生虫性腸炎 便直接塗沫検査
集卵検査
*国立感染症研究所や地方の衛生研究所などで実施

海外勤務者の予防接種

1.海外勤務者に推奨する予防接種
海外勤務者にどのワクチンを接種するかは、勤務者の年齢、滞在地域、滞在期間、滞在先でのライフスタイルなどを参考に判断する(海外駐在員の健康管理対策:表31)
以下に海外勤務者向けの主要なワクチンを紹介するが、詳細は日本渡航医学会が編集している「海外渡航者のためのワクチンガイドライン2010」をご参照いただきたい2)
  1. A型肝炎ワクチン
    A型肝炎は毎年50例前後の輸入症例が報告されている。途上国に滞在する者にとってはリスクの高い感染症であり、滞在期間にかかわらず接種を推奨している。日本で販売されているA型肝炎ワクチンは有効性が高く、2回接種後にほぼ100%が抗体陽性になるが、効果を持続させるためには6カ月~1年後に3回目の接種を行う必要がある。
  2. 黄熱ワクチン
    黄熱は蚊が媒介する感染症で、熱帯アフリカや南米で流行している。罹患した場合の致死率は60%近くに達するため、流行地域に滞在する場合は、短期間であっても黄熱ワクチンの接種を推奨している。また、流行国の中には入国時に黄熱ワクチンの接種証明書の提出を要求する国もある。黄熱ワクチンは弱毒生ワクチンで、1回接種すれば接種後10日目から10年間にわたり効果が持続する。このワクチンは鶏卵成分やゼラチンを含有しており、こうした成分にアナフィラキシーの既往がある者には禁忌である。なお、黄熱ワクチンの接種が受けられる施設は、検疫所およびその関連施設に限られている。
  3. 破傷風トキソイド
    海外では医療機関へのアクセスが悪く、外傷を負った後の処置が遅れるため、破傷風に罹患するリスクが高くなる。このため、途上国だけでなく先進国でも、長期滞在者には破傷風トキソイドの接種を推奨している。また短期滞在であっても、野外活動などで外傷を受けやすい環境にある者は接種の対象になる。破傷風トキソイドは合計3回の接種が必要であるが、小児期に基礎免疫を終了している者については、1回の追加接種のみで有効になる。
  4. B型肝炎ワクチン
    アジアやアフリカなどの途上国にはB型肝炎のキャリア―率が高い国が多く、性行為だけでなく医療行為による感染リスクが高くなる。こうした国に長期滞在する者にはB型肝炎ワクチンの接種を推奨している。
  5. 狂犬病ワクチン
    狂犬病の患者は、南アジアやアフリカなど途上国を中心に発生しており、その数は年間4万人前後と推定されている。こうした国に滞在する者が、狂犬病を疑う動物に咬まれる頻度は高く、また、この疾患は発症すると致命率が100%に達するため、ワクチン接種による予防がとくに重要である。狂犬病ワクチンの接種方法には暴露(咬傷)前接種と暴露後接種があり、前者を受けておけば、暴露後の接種回数を軽減できる。出国前の暴露前接種は、流行地域で動物に接触する機会のある者に推奨している。とくに、暴露後接種を速やかに受けられない場所に滞在する場合は、出国前の接種を強く推奨する。
  6. 日本脳炎ワクチン
    日本脳炎は中国、東南アジア、南アジアで流行しており、年間405万人の患者が発生している。その流行地域は郊外の農村地帯などに限定されており、一般の海外勤務者が感染するリスクは比較的低い疾患である。このため日本脳炎ワクチンの接種は、流行地域への滞在者の中でも、農村などに立ち入る機会が多い者に推奨している。わが国で販売されている日本脳炎ワクチンは3回接種する製剤であるが、成人は不顕性感染や過去のワクチン接種などで免疫を有している者が多く、1~2回の接種で有効になる。
  7. ポリオワクチン
    ポリオの流行地域は年々縮小しているが、熱帯アフリカや南アジアでは未だに患者が発生している。こうした地域に滞在し、現地の人々と密に接触する機会のある者には、ポリオワクチンの追加接種を推奨する。とくに1975077年に生まれた日本人は、小児期の接種による抗体保有率の低いことが明らかになっており、厚生労働省も追加接種を受けるよう勧告している。日本では2012年秋から不活化ワクチンが販売されているが、成人に追加接種をする際には2回の接種が推奨されている。
  8. 腸チフスワクチン
    腸チフスは途上国を中心に年間2000万人以上の患者が発生しており、とくに南アジアでの患者発生が多い。日本でも毎年50例前後の輸入患者が報告されており、その大多数は南アジアでの感染例である。こうした状況から、南アジアなど途上国に滞在する者にはワクチンの接種を推奨している。腸チフスワクチンには注射用多糖体抗原ワクチンと経口生ワクチンがあり、いずれも有効性は70%前後で、効果は3年間持続する。ただし、日本では未承認ワクチンであるため、医師が個人輸入している医療機関でのみ接種を受けることができる。
2.ワクチン接種にあたっての注意点
  1. 接種スケジュール
    海外勤務者は出国までの期間が限られているため、できるだけ短期間のうちにワクチン接種を終了する必要がある。不活化ワクチンは最終的に3回の接種が必要な製剤が多く、出国前には一定の効果がみられる2回目までを終了する(表1)。出国まであまり時間がないケースでは同時接種を行うことがある。同時接種によりワクチンの効果が減弱したり、副作用が相乗的に増加することはない。
    ワクチンを一度接種すると、次のワクチンを接種するまで一定の間隔を空けなければならない。不活化ワクチンの場合は1週間、黄熱などの生ワクチンでは1ヶ月間は次のワクチンを接種することができない。
  2. 帯同する小児への接種
    海外赴任に子供を帯同する際には、定期接種をどのように継続するかが問題になるが、一般的には、滞在国でその国のスケジュールに従って接種を続けるように指導する。各国の定期接種の情報は日本小児科医会国際部のホームページ(http://www.jpaic.net/)で検索することができる。また、海外で定期接種を続けるためには、今までの接種記録を英訳して持参させることが必要である。
    小児への渡航者用ワクチンの接種は、成人の方法に準拠して行う。ただし、小児の場合は定期接種を優先的に行い、それが終了してから渡航者用ワクチンの接種行なうのが原則である。なお、A型肝炎ワクチンについては従来、16歳未満の小児には認可されていなかったが、2013年3月から小児にも適応が拡大された。

参考文献

  1. 濱田篤郎:渡航者用ワクチン. Bio Clinica. 2013; 28:348
  2. 日本渡航医学会編「海外渡航者のためのワクチンガイドライン2010」2010. 協和企画

表2.日本で入手できるマラリア予防薬

ワクチン名 接種回数 接種間隔 有効期間(目安)
A型肝炎 3回 0日、2~4週後、半年~1年後 5年~10年間
黄熱 13回 0日 10年間
破傷風* 3回 0日、4週後、半年~1年後 10年間
B型肝炎 3回 0日、4週後、半年~1年後 10年間
狂犬病 3回 0日、4週後、半年~1年後 2年~5年間
日本脳炎** 3回 0日、4週後、1年後 4年間
ポリオ***
(不活化ワクチン)
4回 0日、4週後、8週後、1年後 10年間
腸チフス
(不活化ワクチン)
1回 0日 3年間
* 破傷風:過去に基礎接種を受けていれば1回の接種
**日本脳炎:成人では1~2回の接種
***ポリオ:成人では2回の接種